「自分のこと。ときどき親のこと。最終回~私の人生は私のもの」
テレビを見ていると、79歳で宅建(宅地建物取引主任者資格)を取得し、80歳で不動産業を始めた女性が紹介されていました。すごいなー、と思いつつ、彼女が宅建の最高齢合格者かしらと調べてみたところ…。ナント90歳で合格した方もいらっしゃるようです。人生、どこまでもがんばる方は、がんばるんですね。
歳を重ねて、なおがんばり続ける方を見ると、「人生を大切にしていらっしゃるんだなあ」と頭が垂れます。
人生を大切にするといえば…、以前、フィギュアスケーターの安藤美姫さんが、ネット上で「私の人生は私のもの。あなたのものではありませんから」とコメントして騒動になっていました。ことの内容はよくわかりませんが、この言葉、私のココロには響きました。
介護の現場の取材を続けていると、「親の介護」に振り回され、ココロやカラダを壊す方に少なからず出会います。親の介護をおこなうことを否定するつもりは毛頭ありませんが、それでも、人生を歩む際には、「私の人生は私のもの。親のものじゃない」と言わざるをえない場面に遭遇することがあると思うのです。そして、そう叫ぶのは「悪」ではないと信じています(実際には「罪悪感」を抱えている子世代は多いのですが…)。
特に、親戚など何も手を出さない外野から責められたときには、キッパリした態度で臨みたいものです。
親のことは大切です。けれども、親の人生は親のものであり、私のものではありません。そこに、ココロやカラダを壊すまでの責任はないと思うのです。
ノロノロと回を重ねた「自分のこと。ときどき親のこと。」。今日で最終回です。私は、冒頭の女性のように不動産業を始めたい、などといった長期的な大きな夢は今のところありませんが、常に短期的な夢は抱いて生活しています。
「本を出したい」
「鼻ぺちゃの犬と暮らしたい」
「大学院に行って勉強をしなおしたい」…。ひとつずつ、叶えてきました。
離れて暮らす親のケアを考えるNPO法人を運営しているとはいえ、主は自分。そして、ときどき親のこと、です。
今も、ひそかにあたためている夢はあります。
先日、10年以上振りに、ひと回りほど年上の友人2人に会いました。いわゆる団塊世代。ひとりは、自宅に寝たきりの義母がおり介護をされていますが、月の半分はショートステイで施設に行ってもらい、その間、地域の高齢者にパソコンを教える仕事をされていました。引く手あまたのようです。
もうひとりは、2つの大病を乗り越え、地域の外国人に日本語を教えるボランティアを開始しようと猛勉強中。故郷の親は施設に入っておられ、ときどき顔を見に行かれます。
彼女たちの生き方を見ながら、ナンテ素敵なんだろう―、と思ったのでした。
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- このコラムを書いた人:介護ジャーナリスト 太田差惠子(Saeko Ota)
- 介護・暮らしジャーナリスト NPO法人パオッコ理事長 AFP(日本ファイナンシャル・プランナーズ協会)会員 京都市生まれ。高齢化社会においての「暮らし」と「高齢者支援」の2つの視点から新しい切り口で新聞・雑誌などでコラム執筆、講演活動等を行う。1996年、親世代と離れて暮らす子世代の情報交換の場として「離れて暮らす親のケアを考える会パオッコ」を立ち上げ、2005年5月法人化した。現理事長。2012年3月、立教大学院21世紀社会デザイン研究科前期課程修了。介護、ジェンダー、ワークライフバランスなどを総合的に学んでいる。個人サイトは「太田差惠子のワークライフバランス」著書に『老親介護とお金 ビジネスマンの介護心得』(アスキー新書)、『故郷の親が老いたとき』(中央法規)、『遠距離介護』(岩波ブックレット)など多数