オリンピックとパラリンピック
8月24日から東京2020パラリンピックが始まっています。
「五輪開催国」ということもあるとは思いますが、ゴールデンタイムではないとは言え、テレビで普通にパラリンピックが中継されたり、結果がニュースで報道されるようになったことは昔から比べれば隔世の感があります。
残念ながら、金メダルの獲得数では圧倒的に中国やイギリス、ロシアなどが強いようですが、日本のパラアスリートもこれからもどんどん力を付けてくるでしょうからこれからの活躍がますます楽しみです。
先日、乙武洋匡さんが自身のYouTubeチャンネルで「パラリンピックをなくしたい」と語ったことが話題になりましたが、私もその点はまったく同感です。
今回の東京五輪でも、オリンピックの閉会式が終わってからパラリンピックの聖火リレーや開会式がおこなわれていますが、そこまで区別をする必要があったのだろうか?と思っています。
こういうやり方をしてしまうと、「ああオリンピック終わったな」という印象が強くなるので、パラリンピックへの関心は薄れてしまうし、どこか「障害者の五輪だよね」的なイメージが付いてしまうのではないかと感じました。
それこそ、乙武氏が言うように、オリンピックの中に「車いすバスケットボール」とか「ブラインドサッカー」「ボッチャ」などの競技の部を設けていっしょにしたほうがバリアフリーですし、オリンピックの流れの中で観戦する人も増えるのではないでしょうか。
そもそも、バリアフリー社会を目ざすのであれば、障害の有無にこだわらず公平に社会に参加し、機会の平等が得られることこそが重要です。かのようなオリンピックとパラリンピックの区分けは逆効果だと言っても過言ではないでしょう。
多様性を認め合うとか、ダイバーシティという言葉だけが独り歩きするのではなく、この先まだ時間はかかるかもしれませんが、いつの日かオリンピックとパラリンピックがひとつになり、パラリンピックという概念がなくなる日が来ることを信じて期待したいと思います。
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- このコラムを書いた人:「オヤノコト.マガジン」編集長 大澤 尚宏(Osawa Takahiro)
- 著書『そろそろはじめる親のこと』(自由国民社)